
世界をめぐり
たどり着いた二代目
「母の味」オムライス受け継ぐ

店長 萩原悠さん
昭和新山や有珠山ロープウェイを訪れたらちょっと足を延ばして、ふっくらふわふわのオムライスやスイーツはいかが? 壮瞥町立香の道道滝之町伊達線沿いに、たつかーむ「たまごCafe」があります。自社農場の無農薬野菜と平飼いの有精卵など、安心安全な食材にこだわったランチメニューが楽しめます。
たまごcafeの二代目店長を務める萩原悠さんは、東京都出身。アメリカ・ニューヨークで舞台芸術を学び、ノルウェーやアイルランドでは介護の経験があるといいます。そこからなぜ北海道に? そしてカフェの店長に? 教えて、萩原さん!
東京から北海道、NYへ
舞台芸術に魅せられた20代
萩原さんは、東京・築地(当時)の魚市場でマグロをさばいていた父と、看護師の母のもとに生まれました。銀座の小学校に通い、2年生の時にシュタイナー学校に在籍していたことがあります。
学校の授業よりも、外で遊ぶのが好き。埼玉県の中高一貫校・自由の森学園に入学してからは、校舎近くの入間川がお気に入りの遊び場でした。卒業を迎えますが、この先何をしたいのか、わからない自分がいました。
そんな中、北海道に嫁いだ姉のいる伊達市へ。シュタイナーカレッジ・ひびきの村の若者プログラムに参加し、後に「育ての親」となるサントス若生実さんの家にホームステイしました。その時、この地域の自然がとても印象に残ったといいます。
その若者プログラムの中で、アメリカ人のご夫婦と出会います。ニューヨーク市に住んでいて、市内から30マイル北の80エーカーの農場と森につくられたフェローシップコミュニティの存在を知ります。周囲の勧めもあり萩原さんは渡米し、高齢者の介護を経験するのです。
「言葉の壁がありました。でも19歳で若かったので、なんとかなった」。助けてくれる仲間の存在が大きかったといいます。3カ月を過ごし、実家に戻ってからはアルバイトをしてつなぎ、当時、母がいた奄美大島に訪ねるなどして過ごします。
そんな中、心を揺さぶる出会いがありました。運動芸術・オイリュトミーのニューヨークのグループが来日したのです。

オイリュトミーは、ドイツの思想家ルドルフ・シュタイナーが生み出した舞台芸術で、音楽や言葉をリズムに合わせて体で表現します。ジェニファー・クライン・バッハさんの舞台を観た萩原さんは深く感銘を受けます。「あの人に会いたい。あの人に教わりたい」という一心で、再び学校のあるアメリカに渡ったのです。
最初の1年は無我夢中で学び、毎日考えて練習をしていく中で、着実に成長を実感しながらポジションをつかんでいきました。そんなある日。「舞台に立って、観客と高い次元でつながれた」といいます。これまでの人生では得ることができなかった手応えでした。
4年間の学びを終えた先は、学校で教えるか、スイス・ゲーテアヌム公認のトレーニングを修了し音楽療養士のオイリュトミストになるか、舞台に立ち続けるかの選択肢がありました。悩みましたが収入を得るため、まずは介護支援をして生きていくことにしました。
欧州にわたり介護ボランティア
障がい者と共同生活で得たもの

当時28歳。海外ボランティアにはキャンプヒル・コミュニティという障がい者と健常者が共同で生活する施設での活動があり、参加を決めます。施設内には有機農場や有機畜産などを備え、20カ国を超えるコミュニティに世界中からボランティアが集まってくるそうです。
フィンランド、そしてノルウェーにわたり活動していましたが、ここでも言葉の壁があり、英語圏に行きたいとアイルランドへ。やがて30歳になり、大好きだったノルウェーの自然に似ている北海道で働くことを決意します。
後に就職することになる「たつかーむ」は、障がいを持つ人もそうでない人も対等に生き生きと働ける環境づくりに取り組む農場。共同生活をしながら、安心安全の平飼い養鶏、有機農作物の栽培をしています。日本の感覚では支援する者とされる者、と分けがちですが、たつかーむはそれを超えて、協働と循環を大切にしています。
たつかーむは、萩原さんのこれまでの経験が生きる「舞台」だったのです。
たまごcafeは、育ての親のサントスさんがコンセプトからメニューまで考え、築き上げたブランド。サントスさんは、各国で介護を経験している萩原さんをたつかーむに必要な人材と見ていました。
ただ、長年の外国生活から切り替え、障がいのあるスタッフと協働で店をまわしていくには、日本流の上下関係、横のつながりと接客、製造現場の経験がもっと必要でした。サントスさんは厳しい目で「真の自立」を見守るのです。
アイルランドから帰国後、萩原さんは伊達市内の福祉施設に務め、星野リゾートトマムでは接客を学びます。30代半ばでの修行。「若い子ばかりの職場で、自分は何をしているのだろう」と厳しさを痛感します。菓子づくりや加工品の職場も経験して「仕上がった」萩原さんは、2024年9月、たまごcafeの店長になりました。

2代目店長 夢は独自メニュー開発
スタッフとつくる新たな「舞台」

たまごcafeの「ソフレオムレツのオムライス」は、ふわふわのたまごが口の中で優しくとけていく看板メニュー。鶏肉のうまみ、たつかーむの有精卵の甘み、濃厚なケチャップがたまらない、一食ずつ丁寧に焼き上げた一品です。
焼き方は、サントスさんが、フランスのモンサンミッシェルにあるラメールというオムレツの店で習得した技。メニューにはだし巻きたまごもあり、どれもお母さんが家族を思って作った味を大切にしているといいます。
たまごcafeはコロナ禍で一時休業しますが、有精卵や加工品の「たまご屋さんのチキンカレー」などに根強いニーズがあり、物販で乗り切ることができました。今もカフェで販売していて、「たまご屋さんのシンプルプリン」、クッキー、有機豆でつくられた無添加みそ「たつかの恵」もおすすめだとか。
「プレッシャーはそんなにない」。店長になった当初は思ったそうですが、「スフレが本当に焼けなくて。お客様を待たせたくない」と必死に覚えたといいます。自分より仕事ができるスタッフに囲まれ「店長として、どうしたら働きやすい環境にできるか」を話し合いの中で見つけようとしています。
そんな萩原さんを癒すのは、有珠山周辺の自然。愛犬「ココア」との散歩は、洞爺湖町の噴火記念公園や湖畔散策路がお気に入りだそうです。
20代で経験した、演者とつくり上げる舞台。そして今、スタッフや、来店されるお客さまとの高い次元でのコミュニケーションを目指しています。
「仕事に慣れて、目をつぶってもできるようになりたい。もっともっと料理の勉強をして、おいしいと思ってもらえるものをお出ししたい」。夢は、いつか自分のメニューをつくること。2代目店長という新たなステージが、幕を開けました。