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My Geopark Story 02
有珠山ロープウエイ

空テラスで味わう
くつろぎの時間と
新たな火山体験

有珠山ロープウェイ
駅長 飯田理さん

洞爺湖有珠山ジオパークの地形のダイナミズムを全身で感じられるスポットといえば、有珠山ロープウェイ・山頂駅を降りてすぐの展望台からの風景です。山麓駅からわずか6分で、どこまでも広がる青い空と、有珠山、洞爺湖、昭和新山が織りなす壮大な景観へといざなう。その変動を続ける大地をドラマチックに伝えるガイドが、魅力を一層引き立てています。

ワカサリゾート株式会社が運営する有珠山ロープウェイ。駅長を務める飯田理さんは、洞爺湖周辺でのネイチャーガイドや火山マイスターの経験を生かし、自身の言葉で魅力を伝える人を増やす取り組みを進めています。加えて道内外の学校や旅行会社向けに防災減災学習プログラムなどを提案するとともに、より魅力的なガイドコンテンツづくりを手がけています。

有珠山ロープウェイは2020年春にゴンドラを一新。天空の特等席「テラス」とカフェを設けて、地球の息吹を感じながらくつろげる空間をつくりました。これまでの観光・周遊を超え、「火山との共生」を核に新たな魅力の発信を進めている有珠山ロープウェイで、飯田さんは何を伝えようとしているのでしょうか。

自然を愛し、北海道に憧れネイチャーガイドに

飯田さんは静岡県出身。将来は自然に関わる仕事がしたいという希望をいだきながら、高校まで静岡で過ごした後、表現の手法として写真の道を志して、数々の写真家を輩出している東京写真綜合専門学校に入学。クリエイティブ分野と、報道のジャーナリズムの両方に興味を持ち、作品づくりに取り組みました。ゼミの一環で、フランス、ドイツ、イタリア、シリアなどを訪ねたといいます。

北海道に憧れるようになったのは、専門学校に入る前に1人で北海道を訪れ、2週間ほど各地を訪ねた時からです。「北海道は自然のスケールが違う。いつか住んでみたい」と思うようになりました。

専門学校に通いながら自然調査のアルバイトをして5年を関東で過ごした後、部屋を引き払い、中国への片道切符の旅が始まります。バックパッカーとしてチベット、ネパール、インドへと渡り、帰国の時がきます。北海道への憧れはなお強く、富良野の農協に住み込みで働くなどしていた頃、洞爺湖でネイチャーガイドの仕事があることを知り、洞爺村(現洞爺湖町)に移住します。

自然はずっと好きでしたが、ガイドは未経験。2004年に洞爺ガイドセンターに入社し、洞爺湖中島を中心にネイチャーガイドの経験を積みました。

「もともとは人と接するのが得意ではなかった」ものの、ガイドとして人と関わるうちに楽しくなっていったといいます。「自分が面白いと思ったことを、一般の人にどのように伝えれば良いのか。ガイドの本質に興味を持つようになりました」

洞爺湖周辺でガイドの経験を積む中で、有珠山ロープウェイから依頼を受けてネイチャーガイドもするようになりました。中島はどのようにできたのか、植生は、エゾシカと森の関係は。案内の充実には有珠山の専門知識が必要と感じ、火山と向き合うようになっていきます。

2006年、飯田さんは世界遺産・ハワイ火山国立公園のキラウエア火山を訪ねます。遠くに溶岩が見え、海へと流れて蒸気が上がっている様子を目の当たりにして「やっぱり大地は生きている。噴火があって今がある」と感銘を受けたそうです。その後は、有珠山がまるで違って見えたといいます。

NPO法人有珠山周辺地域ジオパーク友の会のガイドツアーを見学するなど、活動をともにする中で、同会への入会を決意。有珠山のホームドクターとして知られる北海道大学の岡田弘、宇井忠英両名誉教授や、三松正夫記念館の三松三朗館長らとの交流を通して、「自然だけではなく、関わっている人たちが本当に魅力的な地域」と思うようになりました。

ロープウェイのお膝元・昭和新山は、1943年から1945年の火山活動で麦畑が隆起してできた山。その畑から山へと成長する過程をスケッチした観察記録・ミマツダイヤグラムが生まれた地域でもあり、「100年も前から火山と共生する意識が受け継がれている。自分もそれを伝える活動に携われることが何よりすごい」と強く感じています。

これまでのガイドの経験と実績、火の山の学びを重ねる中で、火山マイスターに認定されました。その後、縁があり2012年、有珠山ロープウェイに入社。飯田さんはキャリアを生かし、火山マイスターにガイドの大切さや魅力を伝えるとともに、ガイドツアーや体験メニューを企画、提案する役割を担うようになっていきます。いわば、ガイドツアーのプロデューサーです。

火山との共生の象徴・ロープウェイ

有珠山ロープウェイは1965年に開業。壮瞥町昭和新山の山麓駅から、有珠山の山頂駅をわずか6分で結び、20世紀に4回噴火した有珠山を間近で体験できるのが特徴です。特に1977年、2000年の噴火では直接的な影響を受けた施設でもあります。それでもこの地にあり続ける姿は、火山と共生する地域の象徴ともいえます。

2020年、スイス製のゴンドラにリニューアルし、広いグラスエリアからの眺望もより開放的になりました。これを機に、洞爺湖展望台に有珠山テラスを新設。座席数は90席まで増やしました。これまでの、展望台で景色を眺めて散策するという流れに「くつろぐ」という体験を加え、新たなスタートを切ったのです。

カフェも併設し、ジオの恵みスムージーが人気を集めています。壮瞥町のリンゴ、豊浦町のイチゴに、伊達市のホウレンソウ、洞爺湖町の小松菜入りで栄養満点。山の形をしたホットサンドはピザ味、あんバター味を用意するなど、気軽に行ける「山の新たな楽しみ方」を提案しています。

もっと深く、火の山の活動や有珠山を知りたい人には、むき出しの噴火口がのぞけるルートも用意。山頂駅から徒歩7分の「有珠山火口原展望台」は、1977年噴火の最大級の噴火口「銀沼火口」を望み、噴火湾の絶景を見ることができます。

その先には片道1.1キロ、徒歩40〜50分の有珠外輪山展望台まで続く「有珠外輪山遊歩道」があり、トレッキングも楽しめます。外輪山を回りながら溶岩ドーム、今も水蒸気を上げる銀沼火口が目の前に迫り、噴火湾の向こう側にそびえる駒ヶ岳、羊蹄山と360度の大パノラマが見るものを圧倒します。

また、学校の見学旅行や修学旅行、一般の団体ツアー客向けには、火山マイスターがガイドする本格的な防災教育プログラムも提案。緊急時の対応や、生きる力について学ぶことができます。山頂施設には防災シアター、山麓施設の火山村では、噴火体験室やジオパーク火山村情報館の見学を通して、過去の噴火の歴史について詳しく知ることができます。

暮らす人とジオパークを結ぶガイド

有珠山ロープウェイの魅力は「洞爺湖有珠山ジオパークを象徴するサイトが上から見渡せること」と飯田さんは言います。「そしてそれらがすべて火山活動によってできていて、成り立ちが分かるのが面白い。風光明媚な景色も温泉も、火の山の恵み。火山があるからここに暮らす人がいて、世界中から訪れる人がいる」

有珠山ロープウェイは、山が初めての人や体の不自由な方でも、テラスの存在によって気軽に大自然が味わえます。しかしそれだけではなく、火山に興味を持った人がより深く学べるコンテンツを充実させているのが大きな魅力といえます。それが、飯田さんがプロデュースする、ジオパーク全体を活用した防災教育プログラムです。

そのプログラム一つ一つに命を吹き込み、変動する大地の歩みを伝えるのがガイドという存在です。「いくら面白い仕掛けやストーリー、話術があっても、伝える人が伝える対象を好きであること、そして自分の思いがなければ伝わらない」と飯田さんは言います。社内で年2回行うガイド研修でも大切にしていることです。

防災教育プログラムでは、有珠山ロープウェイ側から、火山マイスターなどこの地域に暮らす人にガイドを依頼しています。「ガイドをする楽しさを味わってほしいし、それを感じるともっといいガイドをしたいという思いになる。それはジオパークとガイドとを結ぶことにもなり、それらがつながり、持続可能な取り組みになっていけば」と考えています。

ガイドの育成と連動して、飯田さんはガイドメニューに避難所体験を組み合わせることができないかなど、新しいプログラムの構想を練っています。

マス(集団)から個人へとツーリズムが変化する中で、「自分が有珠山ロープウェイにいるからこそできること、自分のバックボーンがあるからできることを意識していきたい」と飯田さん。ガイドと心を通わせながらコンテンツを磨き、「火山との共生」というメッセージを伝え続けています。

有珠山ロープウェイ

地球の息吹を体感する片道6分の空中散歩!

北海道有珠郡壮瞥町字昭和新山184-5

0142-75-2401