立野 広志

立野 広志 
TATSUNO Hiroshi

行政・住民・専門家・マスコミが平時から連携・協力した減災対策とその環境づくりに努めたい

略歴

北海道壮瞥町上久保内出身、洞爺湖町在住。その後、両親の離農により伊達市に移住。室蘭工業大学の夜学部で電気工学を学ぶ。1977年噴火の際は、室蘭の下宿先の窓から噴煙を目撃し、噴火を身近に感じる。大学卒業後、虻田町に移住。虻田町(現洞爺湖町)議会議員として現在に至る。

主な活動歴

2000年5月~11月「有珠山噴火再生住民の会」の事務局メンバーとして、住民が自ら学び、 噴火災害をプラス材料にとらえ、関係機関とともに勉強会を継続し、その結果を提言する学習活動を行う。(述べ30回の勉強会)
2000年12月泥流災害を受けた洞爺湖温泉小学校の再建をどのように行うのか。地域住民とともに複数のプランを出し合い、意見交換会「明日の小中学校の建設を考える町民意見交換会」を開催し、その結果を行政に提言。最終的には、将来の安全を第一に、月浦地区での再建を町に提言し実現させた。
2001年1月~2003年8月「560万人の観光地づくりワークショップ」を結成し、洞爺湖温泉の砂防地域を有効活用し、観光振興に生かすため、噴火災害遺構保存の必要性や可能性について新谷融 北大教授(当時)岡田弘 北大教授(当時)宇井忠英 北大教授(当時)はじめ、中鉢 札幌国際大学教授の協力を得て、8回のワークショップを開催。住民・行政・学者の連携協力で4つの遺構物を保存展示することが出来た。
2001年4月~温泉街が全面解除された後、せっかく来町された観光客にできるだけのおもてなしを尽くそうと「有珠山知ろう会」を組織し、その後「有珠山ボランティアの会」「有珠山ガイドの会」と発展的に改組してきた。現在は、繁忙時のガイド活動や会の監事を担っている。
2002年2月~「有珠山噴火メモリアル委員会」の結成に加わり、事務局長として噴火災害の苦悩や全国からの支援を忘れず、火山と共生するまちづくりを住民がともに協力し合い取り組んでいくため、毎年3月31日を中心に地域ぐるみでイベントを開催。2010年で9回目となる。

得意分野

災害にともなう救済・復興の現状や課題など多くの問題に直面し、実践を通して学ぶ機会を得ました。火山がもたらす恵みとともに、噴火災害への住民の対応、まちづくりなどについて一緒に考えられる機会を持ちたいと思います。

抱負や自己 PR など

2000年噴火は、長期間の避難生活を想定していない災害対策基本法や災害救助法の問題点が浮き彫りとなりました。避難生活を余儀なくされ、多いときには長万部町から登別市までの31箇所の避難所を毎日巡回し、健康、仕事、学校、借金の返済、被災した家屋の復旧など、くらしの問題が山積していました。今後も繰り返されるであろう噴火災害に備え、行政・住民・専門家・マスコミが平時から連携・協力した減災対策とその環境づくりに努めたいと思います。