佐茂 厚美

佐茂 厚美 
SAMO Atsumi

自分自身の驚きと感動を、生き生きと伝えていきたい

略歴

厚真町出身、伊達市在住。2000年噴火は洞爺湖温泉小学校教員として経験。教育復興担当教員として、学校の再開、緊急時の教育体制の確立ために全力を尽くしました。その後、有珠火山防災副読本「火の山の響」を使用した防災教育を試みました。現在は伊達市稀府小学校
教員として、有珠山の学習に取り組んでいます。

主な活動歴

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2000年~2001年洞爺湖温泉小学校の復興担当教員として、緊急時の学校の教育体制確立にあたる
2002年~2004年有珠火山防災副読本「火の山の響」「火の山の奏」作成検討委員
2006年北海道火山防災サミット in いぶり現地実行委員
2007年~2018年伊達市立稀府小学校教員として有珠山学習の実践

得意分野

長年胆振西部を中心に小学校教員をやってきたので、学校教育関係者と顔の見える関係があり、それを生かした活動ができると思っています。授業の中で防災教育を行う上でのプランニングも、実践経験を生かせると思います。特に、子ども故の素直な、しかし本質的な疑問を生かしたプランを考えられると思います。

また、2000年噴火で被災した学校の教員だったという経験から、被害の実際を写真や動画で知らせることができると思います。さらに、災害時における学校の役割、とりわけ、心理専門家の援助を受けて行った安全の確保と心のケアについても、児童・生徒へのあるべき支援の経験として語り継ぐことができると考えています。

抱負や自己 PR など

1977年噴火を虻田本町地区で経験した私は、2000年噴火直前まで山頂部で噴火するものだと思っていました。ところが、西山山麓で噴火したわけですから、私はただ驚くばかりでした。昭和新山の生成も知識としては持っていましたが、いざ噴火となると、自分の経験したことが全てだと思ってしまったのでした。また、噴火直前に学校を後にした時「すぐに戻ってこられる」と考えてしまいました。これも、1977年噴火の経験を当てはめてしまった結果でした。

次の噴火で街の中心となる今の子どもたちに、私と同じ様な間違いをすることなく、有珠山をよく知って災害をかわす知恵を持ってもらいたく、防災教育に関わってきました。その中で、何度も何度も、有珠山の噴火現象を、現地におもむきながら、火山学者の方々から学び、さらにはキラウエアも解説していただきながら巡り、いつの間にか火山に魅せられました。自分自身の驚きと感動を、生き生きと伝えることができたらと思っています。