三松 靖志

三松 靖志 
MIMATSU Yasushi

当地の素晴らしさと火山との共生を伝えていきたい

略歴

壮瞥町出身、壮瞥町在住。高校時代まで壮瞥町で過ごし、12歳の時に1977年噴火に遭遇(東丸山の麓で噴煙を首が痛くなるまで見上げ続けました)。旅行会社勤務の後、壮瞥町への思い断ちがたく、平成21年1月壮瞥町に戻って参りました。軽妙な語り口はミマツワールドと呼ばれ、父三松三朗譲りです。

主な活動歴

  • 旅行会社時代に北海道南西沖地震に遭遇(函館支店勤務)奥尻島からのツアー客救出・現地対応用務にあたる
  • 旅行会社時代に有珠山宿泊研修を販売・送客
  • 2009年1月~2011年6月:壮瞥町役場総務課防災担当
  • 2010年10月:有珠火山防災協議会主催総合防災訓練参加
  • エコミュージアム友の会(ジオパーク友の会)会員

得意分野

  • 昭和新山・1977年噴火での避難体験
  • 行政の立場からの防災対応
  • 被災地支援(宮城県山元町災害派遣経験)
  • 山菜・キノコ・アウトドア関係・料理・植生
  • 修学旅行対応・元旅行会社の営業経験からのツアーコーディネート・ツアーハンドリング など

抱負や自己 PR など

幼少の頃、故三松正夫の膝の上で朝食を食べ、朝晩温泉に浸かる生活が当たり前でありました。大学・社会人と壮瞥町を離れておりましたが、里帰りのたびに、故郷の美しさを見つめなおし、Uターンしました。夕暮れ時の有珠山の稜線やオロフレ山や徳舜瞥岳の朝焼けなど、心震えるような美しい景色を見ていれば、人間の小ささを再認識いたします。

2000年噴火を実体験できなかったのは、つくづく心残りでありますが、私たちの世代の義務は先人が築いた知識や記録を風化させずに次の世代へバトンを受け継ぐことにあると思います。人間は嫌なことは忘れようとしますが、火山と人間の共生は、いやな記憶ではなく、自然の驚異や神秘として面白く、わかりやすく語り継ぐことが大切だと思います。私は得意の説明能力を駆使し、ここを訪れる人たちに当地の素晴らしさと自然の素晴らしさと火山との共生を伝えていきたいと思います。