平田 結
HIRATA Yui
次回の噴火対応が 2000 年噴火と同じようにうまくいくとは限りません。若い世代が地域を担えるような取り組みをしていくべきだと考えます。
略歴
壮瞥町出身。有珠山や洞爺湖の自然に囲まれて幼少期を過ごす。10歳のとき有珠山噴火を経験。小中学校で防災教育を受ける。
主な活動歴
- 高校時に避難所生活に関する論文を執筆
- 2013年より有珠山ロープウエイにて観光客向けのガイドを担当
- ジオパーク友の会 会員
抱負や自己 PR など
わたしは2000年の有珠山噴火の際、10歳でした。当時は噴火災害がどのようなものかの知識もなく、親の言うままに避難の準備をし、何もわからない状態で家を離れました。前兆地震の大きな揺れや地響きがたえず、恐怖と不安を感じた記憶が鮮明に残っています。噴火が落ち着き学校が再開すると、噴火に対する防災教育が増えていきました。火口見学などを通して知った災害の大きさや漠然とした恐怖は、備えることの重要さを浮き彫りにし、噴火災害の正しい知識が必要だということに気づいていきました。そこに火山マイスターという存在が誕生し、平時にこそ準備をするという体制づくりは非常に意義があると感じます。
有珠山の周辺に住む人々の意識も変わり、噴火に対する悪い思い込みが以前よりも少なくなったようにも感じます。それと同時に、まだまだわかっていないことや、足りていない、もしくはもっと対策をしていくべきことがたくさんあると思います。また、有珠山噴火の際になされている対策や、避難の経験がほかの地域でも活かせるように、考えていくことも可能なのではないでしょうか。次回の噴火が2000年噴火と同じようにうまくいくとは限りません。しかしもうすぐに、有珠山は次の活動時期に入ります。その際にあわてることなく、また噴火による犠牲者を出さないために、若い世代が地域を担えるような取り組みをしていくべきだと考えました。