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1944-45年 昭和新山の形成

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1944-45 年山麓噴火による昭和新山溶岩ドームの形成と地殻変動

1943年12月28日、有珠山周辺で前兆地震が始まった。翌1944年1月に入ると、震源は次第に有珠山東山麓に集中するようになり、6月23日にフカバ集落西方の畑から水蒸気爆発が発生し、10月末までに十数回の大きな爆発を起こして7つの火口を作った。7月には火砕サージが発生して湖畔の防風林や家屋が焼失した。その後も地盤の隆起は続き、海抜250mほどの潜在ドームとなった。12月初旬には潜在ドームから三角形の溶岩ドームが姿を現し、1945 年9月までに海抜407mの昭和新山が誕生した。その後現在まで昭和新山は冷却に伴って若干沈降している。

胆振線鉄橋遺構

1943-45年の火山活動では有珠山の東山麓を流れる長流川に沿った畑作地帯が隆起して昭和新山が成長した。そのため、ここを通っていた胆振縦貫鉄道(現在は廃線)と道道(後の国道453号)は地殻変動のため付け替えを余儀なくされた。国道わきの小さな駐車場から遊歩道を30mほど登ると鉄道の鉄橋を支えていた2つのコンクリートの橋台が保存されている。この鉄橋は長流川の支流壮瞥川を渡っていたものである。橋台は昭和新山とは反対側に傾いている。地盤が単に隆起しただけではなく、傾斜したことを物語っている。現地には解説看板がある。
サイト見学地点:胆振線鉄橋跡噴火遺構公園

新山沼

昭和新山周辺では、もともと畑であったところが標高400mを超える山体となり、鉄道が破壊されるほどの大規模な地殻変動が発生した。長流川の支流である壮瞥川の一部も隆起したために、川が堰き止められて水が溜まるようになった。現在その場所は新山沼と呼ばれる小さな池となっている。近くには新山沼を一望できる新山沼展望公園がある。
サイト見学地点:新山沼展望公園
新山沼

昭和新山

1943年12月から前兆地震が、続き、1944年1月には麦畑や集落、道路、鉄道であったところの地盤が隆起し始めた。4月にはもとの地面から 16m隆起したが、4月中旬からは隆起の中 心は北方のフカバ集落へと移り、50mほど隆起した。6月23日、フカバ集落の西方から噴火が始まった。その後も地盤の隆起は続き、もともと畑だったとこ ろが海抜250mほどの潜在ドームとなって現在の屋根山を形成した。12月初旬には潜在ドームの中央に並んだ火口群の中心から、三角形の溶岩ドームが姿を 現し、1945年9月までに海抜407mの昭和新山が誕生した。昭和新山は成長の過程で地中の粘土が熱で焼きつき、赤褐色の天然レンガに覆われている。ま た川原石が溶岩ドームの中腹で見つかるなど、もともとそこが畑であったことを示す多くの証拠を見つけることができる。
昭和新山では、地表の温度は現在でも高いところで300℃ほどあるため、植生はそれほど見ることができないが、山頂部は噴火後の攪乱により独特の景観を形成している。一方山麓部では噴火から60年以上が経過してドロノキの林を見ることができる。
サイト見学地点:道道立香-西関内間、有珠山ロープウェイ山頂駅展望台、昭和新山山麓駐車場、有珠山パーキングエリア
昭和新山

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